2025年2月に行われた都立日比谷高校の国語の入学試験問題について研究しました。都立高校でトップクラスの進学実績を誇る永田町にある学校です。

2025年度は、東大に81名の合格者を出しています。特に医学部医学科への進学に強く、医学部医学科の合格者数は国私立合計で112人となっています。

なお、当校は文科省からSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の指定を受け、東京都からGE-NET20の指定を受けています。

2018年に創立140周年を迎えた伝統ある学校で、多くの著名人を輩出しています。小説家の谷崎潤一郎、夏目漱石、幸田露伴、尾崎紅葉、山本有三、評論家の小林秀雄、画家の横山大観、ノーベル賞受賞を受賞した科学者の利根川進のほか政治家、オリンピック金メダリストなど枚挙にいとまがありません。

さっそく2025年度の国語の入試問題を見ていきたいと思いますが、日比谷高校はホームページで問題と解答を公開していますので、この記事と一緒にご覧いただけます。

●解答を記述する問題では本文には書かれていない登場人物の気持ちをくみ取って書く

大問一は漢字の読みで、大問二が漢字の書き取りです。字自体は難しくないのですが、読み、書き取りともに受験生があまり目にしないような言葉が出題されています。幅広い知識が求められます。

大問三は砥上裕將の小説「一線の湖」からの出題です。水墨画家を目指す青年の話しです。

問1は傍線(1)に「筆に言葉が刻まれているかのようだった。」と「僕」が感じ取ったことを説明したものとして最も適切なものを選択肢の中から選びます。

アには「すぐに描こうとはせずに技術を習得する努力を重ねることが大切だという先生の教え」とありますがそのようなことは書かれていません。イには「あえて苦労を味わわせることで技巧を極めさせようとする先生の願い」とありますが、そのような願いは読み取れません。エには「描く前に心を澄まして対象を正確に把握することが大切だという先生の思想」とありますがそのようなことも書かれていません。

問2は傍線⑵に「僕の中に線があった。」とありますが、この時の「僕」の気持ちを説明したものとして最も適切なものを選択肢の中から選びます。

この問題は正答以外の選択肢の説明はわかりやすく間違っているので比較的容易です。

 アには「自分の心の中に現実とは無縁の心象的な風景が立ち現れてくるように感じる」とありますが、そのような描写はありません。イには「森羅万象の姿が客観的に表現すべき対象として心の中に現れてくるように感じる」とありますが、そのような感覚を持ったとは読み取れません。ウには「心の中に過去の体験に基づく理想的な美の世界が現れてくるように感じる」とありますが、そのようなことは書かれていません。

 問3は傍線⑶に「長い長い時間をかけて、やっと彼らを描けたような気がした。」とありますが、この時の「僕」の気持ちを説明したものとして、最も適切なものを選択肢から選びます。

 本文には「湖山先生が見せてくれた景色に、ようやくたどり着いた。」とありますので、

「自分なりに納得できる絵を描くことができた」と思っていることがわかります。また、「何もせず、見つめることが今は必要だと思い」、そのことを真の達人の西濱さんに教わったとあります。さらには、「僕には届かなかった僕の師たち」への「深い感謝が湧き起こってきた」とも書かれています。これらのことから、ウにあるように、「目標としてきた師たちの絵の世界に近づくことができた」と感じているというのが最もふさわしいです。

問4は傍線⑷に「不意に力が抜けて、僕は目を閉じた。」とありますが、その場面での「僕」の様子を説明したものとして説明したものとして最も適切なものを選択肢の中から選びます。

エが違っていることは明らかなので除外します。ウも「現実の風景を自分の描いた黒白の世界のように見せてしまう」とありますのでまったく当たりません。イには描いた絵が「目の前の風景そのものだと感じさせる」とありますのでこれも違います。

問5は傍線⑸に「白が生きている」とありますが、その表現についての説明として最も適切なものを選択肢の中から選びます。

 アには「計算され効果的に配置された余白」とありますが計算していたとは読み取れません。エにはすべてを描き尽くそうとしない奥ゆかしさが「風景に複雑な彩りを加える」ことを伝えようとしたとは読み取れません。ウは少し悩みますが、「僕」が「描いていて、線が消えました」、「描こうとしなくなったら、描けました」と言っているところから、意図的に余白を残そうとしたのではなさそうです。

 問6は傍線⑹に「『この絵を譲ってくれないか。』と、真面目な顔で湖山先生は言った。」とありますが、湖山先生はなぜこのように言ったのか80字以内で書きます。本文には書かれていないので自分の言葉で説明しなければなりません。

●本文には直接関係ないテーマの作文

大問四は山崎正和の論説文「柔らかい個人主義の誕生」からの出題です。

問1は傍線⑴に「一つの文化社会そのものも、またその構成原理をも、これまでより動的なものとして見るということにほかならない。」とありますが、その考えを説明したものとして最も適切なものを選択肢の中から選びます。

アには「社会的な存在として形成された個人だけが確かな存在」とありますが、間違っています。ウもエもまったく違います。イ以外は明らかな間違いなので検討の必要はないです。

問2は傍線⑵に「社会や個人という概念がいかにあいまいであるかを思い出してみれば、明らかだろう。」とありますが、』どのような点が「あいまい」なのかを説明したものとして最も適切なものを選択肢から選びます。

アには「人間についても社会からの自立の程度にはそれぞれ違いがあり、すべての人を自立した個人と認めることは難しい」とありますが、自立の程度の問題ではありません。イには「個人より集団が価値を持つ人間の社会においては、個人としての自主性や主体性以上に他者との関係が尊重される」とありますが、他者との関係が尊重されるという書き方はされていません。ウには「人間を除く生物では社会や個体に先立って種族生命と個別化の相剋が存在する」とありますが、社会や個体に先立って種族生命と個別化の葛藤が生じるのは人間も同じです。

問3は傍線⑶に「一般に個人の個性とはその集団性のことだ、という逆説が成り立つのである。」とありますが、どのような点が「逆説」といえるのかを説明したものとして最も適切なものを選択肢から選びます。この問題は難しいです。

アには「個人の意味と価値」とありますが、肝心の「個性」について触れられていません。イにあるように「均質性の高い集団に属し、他者と協調的な関係を築くことが、円満な個性を養うためには欠かせない」といった記述はありません。エは本文の内容とまったく異なります。ウにあるように「他者との差異を保つことが個性の条件だと考えられがち」とは書かれていませんが、その他は合っていますのでウしかなさそうです。書かれていないことを含んだ説明を選んでしまっていいのか疑問です。

問4は傍線⑷に「それを作った個人は新しい無形の集団に属している、といわなければならない。」とありますが、「新しい無形の集団に属している」といえるのはなぜかを説明したものとして最も適切なものを選択肢から選びます。

アには「同じ考えをもつ同志の集団を現実的に組織し自分たちの考えを社会に向けて発信することが不可欠」とありますが、そのようなことは書かれていません。ウにあるように既存の集団に帰属したのでは「新しい無形の集団」に属することになりません。エにあるように「新しいように見える考えも既存の考えの焼き直しに過ぎない」は明らかに間違っています。

問5は傍線⑸に「この両者がひとつの特定の段階の均衡に達したときに、人類独特の『個人』が誕生したといえる」とありますが、その考えを説明したものとして最も適切なものを選択肢から選びます。

イにあるように集団化と個別化の二つの力の葛藤があるとは書かれていません。ウにあるように個別化の原理が集団の解体を進めるとも書かれていません。エにあるように個別化の原理が価値を持つようになり、集団へ属することを拒否するとも書かれていません。 「葛藤」、「解体」、「拒否」など強めの言葉が選択肢の分の中に含むのは、問題作成者が誤答を作るときによく使う方法なので注意が必要です。

問6の問題は作文で、本文の内容に直接は関係ありません。本文の後で筆者は「個人はまさに」「公共への参加を含んでこそ個人になる」と述べているらしいです。自分の立場を築くことと、集団や社会との関わりについて自分の考えを250字以内で書きます。

わたし自身のことで言えば、集団や社会との関わりについて深く意識するようになったのは、高校生になってからで、今、中学生の頃を振り返ってみてもほとんどそのような意識はなかったと思います。書物を読んで知ったことやクラブ活動などを通して感じたことなどを書のもよいでしょう。

 

 ●間違いではない選択肢が複数ある問題も

 大問五は白洲正子の論説文「西行」からの出題です。

 問1は本文で紹介された和歌A「ききもせずたばしね山のさくら花 よしののほかにかかるべしとは」についての筆者の解釈を説明したものとして最も適切なものを選択肢から選びます。

 ウには「稲や桜という古来から受け継がれてきた自然の美しさに気付き」とありますが、「稲」をうつくしいと思ったかはわかりません。エには「都の人々に花見をすることを勧めるために歌ったもの」とありますが、そのような意図があったとは書かれていません。アもイもあっているように思えるのですが、最も適切なのはどちらか選ばなければなりません。「奥州への初めての旅で目にした束稲山の桜を詠んだ」という大事な要素が書かれていますのでアを選びます。

 問2は傍線⑵に「西行の心境」、傍線3に「西行の涙」とありますが、どのようなものか説明したものとして最も適切なものを選択肢から選びなます。

 4つの選択肢の明確な違いは、「西行の涙」をどうとらえるかです。アは「藤原氏が築き上げた歴史に対して深い畏敬の念を抱く」としています。イも「金色堂にあらわれる一瞬の美しさを見いだす西行の心のありよう」とあります。本文には「金色堂や一字金輪には目もくれず、しがない罪人の僧侶たちと語り合っているのは興味深い」とありますので、アとイはふさわしくありません。エには「僧侶たちの境遇を想像して」とありますが、西行は僧たちに実際会っています。また、「西行の心境」もエには「名所への好奇心に突き動かされた旅出の決心を表したもの」ではありません。

問3は傍線⑶に「その歌の姿がおのずから見えて来るものだ。」とありますが、和歌C「とりわきて心も凍みて冴えぞ渡る 衣河見に来たる今日しも」の「歌の姿」を最も端的に表している言葉を本文中から七字で抜き出します。

直後の段落で和歌Cについて解説していて、そこにその言葉が出てきますので、さがしやすいでしょう。

問4は傍線⑶にある「名状しがたい」という慣用句の意味を問う問題です。選択肢が用意されているので難しくはないです。

問5は本文中にある和歌についての筆者の解釈を説明したものとして最も適切なものを選択肢から選びます。選択肢は和歌BとCについて書かれているが、和歌BはC同様に衣川を詠んだ「なみだをば衣河にぞ流しける ふるき都をおもひでつつ」という歌です。

アには「衣川をいつ見ることができるのだろうかと不安に思う西行の気持ち」とありますが、早く見たくて気が急いていたというほうが状況に合っているのではないでしょうか。 ウには和歌BもCも「藤原氏の勢力などには無関心でひたすら風情のみを求める」とありますが、筆者は西行が二度目に奥州に来たときに和歌Cを詠んだものではないかと思っていて、藤原氏の勢力をしかと見定める必要があったと考えています。エには「奥州藤原氏の繁栄と過去の戦における武士たちの活躍が重ねられており、西行の憧憬の念を感じ取ることができる」とありますが、憧憬の念は感じ取れません。

 ●選択肢のある問題も難度が高く、記述問題は高度な文章作成能力を求められる

さすがに都立高校トップレベルの名門校とあってたいへん難度の高い問題です。

選択肢が用意されているのにもかかわらず適切と思える選択肢がない問題というのはあまり見たことがありません。問題文はよくある書き方で最も適切なのはどれかとなっています。その中から最も適切なものを選ぶだけのことだという考え方なのかもしれません。ただ、その根拠となる部分が非常に微妙なので、かなり悩みます。市販されている問題集でここまでこだわって作った物はあまりないでしょう。日比谷高校の入試向けには特別な勉強が必要です。

例えば大問四の問3は正答と公表されている選択肢に「他者との差異を保つことが個性の条件だと考えられがち」とありますが、このようなことは本文には書かれていません。問題で問われている「個人の個性」とは、一般的にいうとそう考えられがちだということなのでしょうか。他に適切と思われる選択肢がないのでこれを選ぶしかありません。

大問五の問1の方は感覚的には正解がわかるような気がするのですが、アの「西行が奥州の初めての旅で、目にした束稲山の桜を詠んだ歌であり、山面の一帯に咲きわたっている桜が思いの外に美しかったことに圧倒され衝撃を受けた心の動きを率直に歌ったものである。」という説明も間違ってはいないように思えます

このように選択肢が用意されている問題も難しいのですが、記述で解答する問題はもっと難しいです。具体的に言うと、大問三の問6です。日比谷高校の模範解答には、「斉藤が過去の技法を捨て」とありますが、これはどこにも書かれていません。[注]に斉藤が左手で描いたのは、あえて利き腕ではない左手で描くことを試みているとありますので、ここから読み取るしかありません。また、模範解答には「その努力と成果に水墨画を愛するものとして賛辞を送りたいと思った」とありますが、そのようなことはどこにも書かれていません。湖山先生の気持ちを推察するしかありません。小説や物語では書かれていない登場人物の気持ちを書かなければならないことはよくあります。たたここまでノーヒントに問題も雌らしいです。模範解答は確かに素晴らしい文章ですが、中学生にここまで書けるのでしょうか。日比谷高校を受験する生徒だから書けるのかもしれません。

選択肢の吟味、文章作成の能力ともに日比谷高校に合格するには特別な便級が必要でしょう。