2023年の2月に行われた中央大学附属中学校の2回目の国語の入試問題を見てみたいと思います。

1回目同様、長文問題2題で構成されていますが、使われている出題文が2題とも特徴的な題材です。

●哲学書を解説するような難解な文章にも慣れておく

2023年の2回目の大問一は國分浩一郎の「暇と退屈の倫理学」からの出題です。

問4から問11がおもに出題文の内容を正しく理解しているかを問うている問題です。すべての問題に選択肢が用意されていて、答えを記述する必要のある問題は出ていません。

問4は「十分とは十二分ではない」の意味を問う問題ですが、選択肢(ア)は本文で言っていることとは逆の内容です。(イ)にある「精神的な豊かさ」については書かれていません。(ウ)のように質がよいとか悪いとかについても書かれていません。

問5は「しっくりこない」のここでの意味です。直前で「人が豊かに生きるためには、贅沢がなければならない。」としながらも、それだけではしっくりこないと言っているのです。豊かに生きたいと思う願いが、贅沢というプラスではないイメージとどう結びつくのがしっくりこないということです。筆者は自分の言いたいことをうまく説明しきれているとは思えないのですね。(ア)の「言い過ぎだ」でも(ウ)の「都合がよすぎる」訳でもなさそうです。むしろその後の文章でいろいろ説明を加えているところを見ると筋が通っていないと感じたようです。(エ)「はっきりしない」というよりは何かが違っている、説明が十分ではないというのがふさわしいと言えます。

問6には「消費されるためには、物は記号にならなければならない」という文章に対する出題者の説明文が示されています。この説明文の4カ所に選択肢が3つずつ用意されていて、どの選択肢が適当か選ぶ問題です。(1)から(4)まで3択のうち2つは明らかに間違っているので正しい答えを選び出すのに苦労はしません。

問7は本文中に「消費はつねに『失敗する』ように仕向けられている」とありますが、どういうことかを問う問題です。(ア)には「人々が自分の意志で決められることはない」とありますが、すぐ近くに「選択の自由が消費者に強制される」とありますので間違いです。(イ)にあるように「多くの企業が自社の製品を長持ちしないように作っている」というようなことは書いてありません。(エ)にあるように「人間である限り誰にも同じような人間らしさが備わっている」とか、「どれだけ努力しても個性的にはなれない」といったことは書いてありません。

問8は「狩猟採集民は何も持たないから貧乏なのではなく、むしろそれ故に自由である」とはどういうことかと言う問題です。(イ)にあるように「好きなときに住居を移動できる」とか、「自分が所属する村の人々との人間関係に日々心を悩ます」といったことは書かれていません。(ウ)にあるように「生活を今より進歩させたいという欲望」がないのか本文からはわかりませんし、「快適で便利な生活様式にあこがれを持つことがないのか」どうかもわかりません。本文には「何らの経済的計画もせず」とか「将来への気づかいの欠如」という言葉はありますが、(エ)のように「先のことを考えて準備するという習慣がないからこそ、いまこの瞬間を生きることに成功している」とまで言い切れるのか、因果関係がはっきりしません。

問9は「消費社会とは、人々が浪費するのを妨げる社会である」とはどういうことかと言う問題ですが、この問題にも出題者の説明がつけられています。a ~f の空欄を埋めるために選択肢の中からあてはまるものを選びます。

問10は出題文の結論ともなっている「消費社会を批判するためのスローガンを考えるとすれば、それは『贅沢をさせろ』になるだろう」についてです。出題者の説明が示されていて、説明文の4カ所に選択肢が設けられています。それぞれ適当なものを選びます。出典の國分浩一郎の言いたいこと=この場合、ボードリヤールの主張となっている点がなかなか厄介です。正しい答えを選び出すのに苦労するかもしれません。(3)は、消費において人は観念や意味を受け取るだけなので、消費を続けても満足をもたらさないという考え方が示されていることから答えを導き出します。(ク)にあるように「自らの欲望の存在を否定」していませんし、「欲のない人間として生きていこう」という決意についても書かれていません。また、(ケ)にあるように自身を発信する側にするとか、欲望をコントロールするところまで踏み込んではいません。(4)の答えは贅沢によって満足するのはなぜかということです。(シ)にあるように自分と他人の関係については触れられていないので除外します。イメージだけでなく、あらゆる欲望を自分自身の感覚で捉えることを言っているので(コ)もあたりません。

問11は本文の内容と合致しない物を選ぶという問題です。(ウ)ですが、消費社会においてはそもそも消費と浪費に区別があることなど思いつかないと書いてあるので本文の内容と合致しません。(エ)にあるように浪費することが習慣化されたというようなことは書かれていません。書かれているのは20世紀になって生産者の事情で供給される終わることのない消費社会が訪れたということです。

 出題文ではフランスの思想家、ボードリヤールの考え方を取り上げています。わたしは大学でフランス文学を勉強しましたが、このジャン・ボードリヤールの著書、「消費社会の神話と構造」を引き合いにして卒論を書きました。取り上げたのはセリーヌという作家の「世の果ての旅」という作品です。ボードリヤールの考え方に基づいて読み解いたのです。セリーヌの世の中に対する痛烈な批判精神は消費社会の抱える諸課題と通底するところがあって、セリーヌの作品理解に役立ちました。ただ、ここに書かれているような浪費と消費の違いなどには触れていなくて、もっぱら消費社会と言う切り口で見たセリーヌの「世の果ての旅」という観点で論じました。今回、恥ずかしながら、國分浩一郎の文章を初めて読んで、浪費と消費の違いについて改めて「そういうことだったのかぁ…。」と認識した次第です。

 

●川端康成の「乙女の港」には繊細な感情の変化を示す表現が満載

大問二はノーベル文学賞受賞作家川端康成の「乙女の港」からの出題です。

問題文の前書きにもあるように「エス」について書かれた小説です。「エス」とは大正から昭和初期に女学生の間で流行った女の子同士の特別な関係のことです。これから中学へ行こうという受験生があまり知っているとは思えません。もちろん知らなくても、問題を解くのに支障はありません。

他の大問同様、解答を記述させる問題はなく、すべて選択肢が用意されています。

問2は「わが子の姿を目で追いながら、お互いに、よその子供の、褒めっこの競争をしている」とはどういうことかという問題です。(ア)の「自分の子供のことはそっちのけ」という意味ではないことは明らかです。わが子の姿を目で追うというのは、「自分の子供が競争を終えて、生徒席の方へ引き上げていくのを見送った母親」に限定されているわけではないので(イ)でもありません。同様に「自分の子供の出番が終わってしまった母親たち」に限定されているわけでもありませんので(エ)でもありません。

問3は「そのあざやかな競争振りに、見ている洋子も胸がすくようで、日頃のことも忘れ、やはり克子に勝たせたい」とあるが、どういうことかという問題です。(ア)にあるように「中立の立場で」というような心情は描かれていません。(イ)にあるように普段から洋子が克子のことを悪しざまに言っていたのかは不明です。また、同じ色の組かどうかも書かれていません。(エ)にあるようにライバルとして見ていて他の生徒には負けてほしくないと言う気持ちなのでしょうか。そうは読み取れません。

問5ですが、医務室の「古い壁の隙間から、こおろぎでも飛び出しそう―」とあるが、どのような様子を表しているかという問題です。 (イ)の不気味さでも(ウ)の恐ろしさでもありません。「運動場のはなやかなどよめき」や「美しい日」と対比して描き出したかったのは、(エ)のひんやり感よりも(ア)の「わびしげな様子」でしょう。

問6は「体の具合が悪いと、なんだか気持ちが澄むわね」とあるが、このときの克子の気持ちはどのようなものだと考えられるかと言う問題です。(ア)三千子が自分を心配してくれてうれしいという気持ちや、(エ)洋子の世話になってしまって悔しいという気持ちは読み取れません。(イ)他の人の心の中までも見通せるような気がしたのかどうかは書かれていません。

 問8は「病気のために、克子の気が折れたのかとも、三千子は思ったけれど、克子の声には、いつもとちがう、深い響きがあった」という時の三千子の思いはどのようなものだと考えられるか問う問題です。この問題にも出題者の説明文がついています。説明文の4カ所に選択肢が3つずつ設けられていて、それぞれ1つを選ぶのですが、はっきりとした違いのある選択肢なので難しくありません。解説の必要はないでしょう。

 問10は本文中の一連の会話を順番に並べる問題です。(イ)は「まあ、とんだことね。」から始まっているので、「しばらく、学校はお休みらしいんですの。」という会話を含んだ(エ)より後に来ることがわかります。その(エ)は「ええ、今朝はずいぶんお元気でしたけれど、」から始まっているので、「克子さん、どうなさって、およろしい?」と言う会話で終わる(ウ)の後に来るのも明らかです。残る(ア)が洋子を探しに来た三千子が5年の人に遠慮しいしい尋ねたというGの直前の文章につながりますので、(ア)、(ウ)、(エ)、(イ)の順番に会話が進んだことがわかります。

 問11には「運動会の日までそむき合った小さい乙女心、奪い合った一つの花びら、傷つけ合った愛情、そういう鬱陶しい幾月かを越えて、今日は、綺麗に掃除したように、晴れた日」と言う描写に対する出題者の説明文がつきます。出題文のまとめであると同時に、出題文として抜き出された以外も含めた「乙女の港」全文のストーリー展開やこの話の舞台となっている高等女学校の背景などまで書かれています。説明文自体に3,000語近い分量があるので文章を読むスピードの速さも要求されます。この説明文のところどころに設けられた空欄に当てはまる言葉を後ろに掲げられた選択肢から選びます。6カ所の空欄に対して、選択肢は10で、紛らわしいものはないので説明文の内容さえわかれば難しくはありません。

●「国語っておもしろい!」

2回目の入試問題も、1回目同様、決して難しくはないのですが、出題文に特徴があって、哲学書の解説であったり、他の学校ではあまり扱われない題材であったりします。中大附属中学を受験する人は数多くの長文問題に取り組んでいろいろな文章に慣れ親しんでおく必要があるでしょう。

また、本学の国語の入試問題には出題者の説明文がつくことがあって、これが内容の理解にたいへん役立ちます。出題文だけではわからないような文章全体の流れや背景なども書き込まれていることがあります。入試を通して知らず知らずのうちに、見識を拡げたり、気づきがあるとすればそれこそよい勉強になるのではないでしょうか。

 苦手な教科の勉強はやる気が起きなかったり、苦しいことが多いと思いますが、興味を持って取り組むことが出来れば、気持ちが前向きになるはずです。「国語って意外とおもしろい!」と思ってもらえたら、きっとどんな試験も試練も乗り越えられるでしょう。